少子化などの影響により、学習塾業界ではM&Aが活発です。学習塾のM&Aでは、優秀な講師確保やサービスの質向上などのメリットを得られます。学習塾によるM&Aの動向や最新事例、メリットを詳しく解説します。(中小企業診断士 鈴木裕太 監修)
はじめに、学習塾業界の定義や市場規模、動向、課題を解説します。
総務省が公表している日本標準産業分類では、学習塾を「小学生,中学生,高校生などを対象として学校教育の補習教育または学習指導を行う事業所」と定義しています。[1]
各教科の指導・補習を行う学習塾だけでなく、有名高校・大学等への進学を目的とした進学塾や予備校も含まれます。[2]
経済産業省が公表している「経済構造実態調査」によると、2020年における学習塾業界の市場規模(年間売上高)は1兆2,043億円でした。[3]
9,727億円であった2013年と比較すると、市場が拡大していると言えます。[4]
出典:特定サービス産業実態調査、経済構造実態調査(経済産業省)をもとに弊社作成
2020年にフォーカスすると、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で、3月〜6月にかけて市場が一時的に縮小しました。[5]
同年2月に全国一斉での休校要請が行われたことや、4月に1回目の緊急事態宣言が発令されたことを理由に、できる限り他人との接触を避ける動きが広まったことで、学習塾の市場が縮小したと言われています。
ただし、同年後半にかけて市場は回復しています。[5]
2022年現在、学習塾業界は以下3つの状況に直面しています。
文部科学省が公表している「令和3年度学校基本調査」によると、1980年代前半以降、小学校・中学校・高等学校の在学者数は緩やかに減少し続けています。[6]
在学者数減少の背景には、少子化の問題があると考えられます。
しかし一方で、少子化の影響にともない、子供1人あたりの年間教育費は1980年代〜2010年代にかけて右肩上がりに増加しました。[7]
出典:子どもの減少と相反する一人あたり教育費の増加(参議院)
1人あたり教育費が増えていることで、少子化の状況にもかかわらず、学習塾業界の市場は緩やかに拡大していると考えられます。
ただし、学習塾は小学生〜高校生までの生徒を主要な顧客としています。
したがって、少子化に伴う在学者数の減少は、長期的には市場の縮小につながる可能性があると考えられます。
三井住友銀行が2019年に公表した資料によると、人材確保のための待遇改善などを理由に、学習塾における人件費は上昇傾向にあるとのことです。
費用構造の大部分を占める人件費が増えたことで、売上高が増えているにもかかわらず、利益率が低下している学習塾運営会社が増加しています。[8]
利益率の低下に対処するためには、不採算なエリア・校舎からの撤退やM&Aによるコストシナジーの創出などを通じて、費用面での効率化を図っていくことが重要であると言えるでしょう。
教え方が大きく変革を遂げている点も、学習塾業界における大きなトピックの1つです。
たとえば、AIを活用した「オーダーメード学習」や、授業のネット配信を導入する学習塾が増えています。[8]
※オーダーメード学習:生徒の解答傾向などをAIが分析し、理解度を高める最適なカリキュラムを提供する方法
こうしたAI・IoTの普及が進むことで、個別指導に対する需要がさらに高まると考えられます。
また、小学校高学年を対象としたプログラミングや英語の必修化や、大学入学共通テストの開始などにより、学校教育や受験の在り方も大きく変化しています。[8]
学習範囲も大きく変わるため、各学習塾には変化への対応が求められるでしょう。
[1] 日本標準産業分類 大分類O-教育,学習支援業(総務省)
[2] 学習塾とは(コトバンク)
[3] 2020年経済構造実態調査報告書 二次集計結果 (経済産業省)
[4] 平成25年特定サービス産業実態調査(経済産業省)
[5] 学習塾の動向;少子化とコロナ禍の影響(経済産業省)
[6] 令和3年度学校基本調査(文部科学省)
[7] 子どもの減少と相反する一人あたり教育費の増加(参議院)
[8] 学習塾業界を取り巻く事業環境と今後の方向性(三井住友銀行)
この章では、2021年および2022年に実施された学習塾の最新M&A事例を6例紹介します。
事例では、M&Aの目的や背景、用いられた手法、取得価額などを紹介しますので、M&Aに対するイメージを深めることができます。
学習塾業界の最新動向を知りたい方や、M&Aを検討している方は参考にしてください。
リソー教育:学習塾「TOMAS」を運営[9]
ヒューリック:不動産の所有・賃貸・売買・仲介業務を展開[10]
譲渡企業:教育事業での連携強化
譲り受け企業:主力のオフィス賃貸事業に次ぐビジネスの育成[11]
VAMOS:東京都内に中学受験メインの学習塾を3校運営[12]
さくらさくプラス:関東を中心に73の認可保育園を展開[12]
譲り受け企業:乳幼児期から小学校卒業に至るまでの教育をサポートする体制の確立、自社の不動産事業に関するノウハウを生かした事業開発・発展の実現
個別進学館:早稲田アカデミー個別進学館に関する事業を運営(明光ネットワークジャパンが新設分割により設立)[14]
早稲田アカデミー:小学生・中学生・高校生を対象とする進学塾を全国で展開[15]
譲り受け企業:グループ内における集団指導と個別指導のシナジー効果強化、フランチャイズノウハウを活用した事業展開の加速、首都圏での個別指導ブランド100 校体制の早期実現[14]
ビーシー・イングス:中国地方で最大規模の学習塾を運営。広島県公立高校入試において多くの学校で合格者数No.1の実績を有する。[16]
英進館:「英進館」や「花まる学習会」などのブランド名で、九州を中心に学習塾を展開[16]
譲り受け企業:隣接エリアに基盤を置く譲渡企業との連携を図ることによる「指導力向上の実現」
アンガーマネジメント:アンガーマネジメントの企業研修事業を運営
ウィザス:中核事業である「学習塾事業」と「高校・ キャリア支援事業」に加えて、「幼児・学童英語事業」 や「ICT 教育・能力開発事業」を幅広く展開
譲り受け企業:サービスラインの拡充、社会的ニーズに応えるサービスの提供実現
Bresto&Company:不動産仲介や小学生・中学生・高校生を対象とした個別学習塾の事業を展開
ブルーフレイム:カリスマ英語講師として有名なイムラン・スィディキ氏が経営。英語教材の販売、英語オンラインのプログラム運営、英語コーチ・講師の育成事業、国内留学などの事業を展開。
譲渡企業:主力事業への集中(譲渡対象事業からの撤退)
譲り受け企業:事業の拡大(学習塾による英語教育ノウハウの展開)
[9] リソー教育の株式取得に関するお知らせ(ヒューリック)
[10] 会社概要(ヒューリック)
[11] ヒューリック、リソー教育の筆頭株主に 70億円追加出資(日本経済新聞)
[12] さくらさくプラスが学習塾VAMOSを完全子会社化(PR TIMES)
[13] 保育園のさくらさくプラス、学習塾を買収 1億5000万円(日本経済新聞)
[14] 個別進学館の株式取得に関するお知らせ(早稲田アカデミー)
[15] 会社概要(早稲田アカデミー)
[16] ビーシー・イングスの株式取得に関するお知らせ(英進館)
[17] アンガーマネジメント株式会社株式取得に関するお知らせ(ウィザス)
次に、大手学習塾によるM&Aの事例を4例紹介します。
大手がどのような目的でM&Aを行ったかを知れば、M&Aを経営戦略に活かすヒントを得られるでしょう。
Udemy, Inc.:「教えたい人」と「学びたい人」をオンラインでつなぐプラットフォームを世界190か国以上に展開[18]
ベネッセホールディングス:グループ全体で学習塾の運営や通信教育、介護などの事業を幅広く展開[19]
譲り受け企業:講師や企業と連携した社会人向けの新規サービスの開発、「大学と社会を学びでつなぐ」をコンセプトとしたキャリア支援事業の開発など
栄光ホールディングス:関東圏を中心に「栄光ゼミナール」ブランドによる学習塾を展開[20]
ZEホールディングス:増進会出版社が本件M&Aを目的に設立した会社。増進会は「Z会」のブランドを通じて、全国の難関校志願者を対象とした通信教育事業や対面教育事業を展開。[20]
譲り受け企業:従来の提携関係を超えた資本関係の強化を図り、「顧客個々の状況に適合した学習スタイルの提供」や「国内外から求められるグローバル人材の育成」などを実現すること
サマデイ:M&Aを行った当時、現役高校生を主要な対象とした「早稲田塾」を東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県で24校運営。AO・推薦入試の分野においてトップクラスのブランド力を保有。[23]
ナガセ:「東進ハイスクール」や「東進衛星予備校」、「四谷大塚」などのブランドで小中学生〜高校生を対象とした学習塾を展開[23]
譲り受け企業:自社グループの総合力・競争力強化
文理学院:M&Aを行った当時、山梨県と静岡県で30教室の学習塾を展開[24]
学研ホールディングス:地域に根差した学習塾事業や家庭教師事業を展開[25]
譲り受け企業:甲信越・東海地域における事業展開の加速[24]
[18] 世界最大級の教育プラットフォームを提供する米国Udemy社との資本提携について(PR TIMES)
[19] 事業内容(セグメント)(ベネッセホールディングス)
[20] ZEホールディングスによる公開買付けの開始に関するお知らせ(栄光ホールディングス)
[21] ZEホールディングスによる当社株式に対する公開買付けの結果に関するお知らせ(栄光ホールディングス)
[22] 沿革(Z会グループ)
[23] 早稲田塾事業の会社分割等により設立される新設会社の全株式取得に関するお知らせ(ナガセ)
[24] 学研HD、山梨地盤の学習塾買収(日本経済新聞)
[25] 教室・塾事業(学研ホールディングス)
[26] 「株式会社 文理学院」の弊社グループインについて(学研ホールディングス)
この章では、学習塾と異業種の企業がM&Aを行った事例を3例紹介します。
学習塾を運営する企業が、どのような業界の企業とM&Aを行っているかを知りたい方は参考にしてください。
マンツーマンアカデミー:やる気スイッチグループが全国展開する個別指導塾「スクールIE」のFC加盟店事業を主力ビジネスとして運営。関東圏で36店舗(2019年11月時点)を展開。
ヤマノホールディングス:美容事業や和装宝飾事業などを中核事業として展開
譲り受け企業:教育領域への新規進出
譲渡企業:ヤマノHDが蓄積してきた他店舗展開ノウハウの活用により、従業員の採用難などの課題を解決し、事業を発展させること
パス・トラベル:関西方面の大学や企業・個人を主要顧客として、ビジネスや学術などに関する旅行プランの企画・手配事業を展開[28]
市進ホールディングス:小・中学生向け学習塾である「市進学院」や現役高校生向けの「市進予備校」、個別指導の「個太郎塾」などを展開[29]
譲り受け企業:自社グループ事業とのシナジー効果創出
なごみ設計:建設工事業や内装工事業等などの事業を運営[30]
エス・サイエンス:中学〜大学受験を目的とした集団授業・個別指導を行う学習塾を展開。教育事業以外には、ニッケル事業や不動産事業を展開。[31]
譲り受け企業:自社の不動産関連事業との連携強化による「売上高の拡大」、「収益向上」、「財務体質の強化」
[27] マンツーマンアカデミーの株式取得に関するお知らせ(ヤマノホールディングス)
[28] 市進HD、旅行プラン企画・手配のパス・トラベルの発行済株式の100%を取得することを決議(日本経済新聞)
[29] グループのご案内(市進ホールディングス)
[30] なごみ設計の株式の取得に関するお知らせ(エス・サイエンス)
[31] 事業概要(エス・サイエンス)
ここまで紹介した学習塾によるM&A事例からは、以下2つの傾向が読み取れます。
以下では、それぞれの傾向についてくわしく解説します。
ここまで見て分かる通り、学習塾によるM&Aに関しては、異業種企業を買収・売却の対象としているケースが多いです。
たとえばベネッセHDや市進ホールディングスのように、新規事業開発やシナジー獲得などを目的に、異業種の会社を買収する事例が見受けられます。
逆に、ヒューリックやヤマノホールディングスのように、新しいビジネスとして教育領域に参入する目的で異業種企業が学習塾を買収するケースも少なくありません。
以上より、学習塾は他業種とのシナジー効果創出が期待でき、かつ新規参入するだけの魅力がある業界であると考えられます。
事業エリアの拡大やサービスの品質向上などを目的に、学習塾同士がM&Aを行うケースも少なくありません。
たとえば学研ホールディングスは、これまで手薄であった甲信越・東海地域での事業展開を加速させる目的で、同地域で学習塾を展開している文理学院を買収しました。[24]
また、九州に拠点を置く英進館は、隣接エリア企業との相互連携による指導力向上を図る目的で、中国地方で最大規模の学習塾を運営するビーシー・イングスを買収しました。
少子化による競争激化やニーズの多様化、変化する学習カリキュラムへの対応手段の一環として、M&Aによる「事業エリアの拡大」や「サービスの品質向上」を図っていると考えられます。
最後に、学習塾がM&Aを行うメリットを売り手企業と買い手企業それぞれの視点で紹介します。
売り手企業がM&Aによって学習塾単体、または会社ごと売却すると、下記3つのメリットを得られます。
以下では、各メリットをくわしくご説明します。
親族や従業員等の中で後継者が決まらない場合、残る選択肢は基本的に「廃業」または「M&Aによる第三者承継」の2択となります。
廃業する場合、講師をはじめとした従業員は仕事を失います。
また、学習塾に通っていた生徒にとっては、学習のスタイルやスケジュールが崩れることになります。
経営者にとっては、収入源や社長としての地位などを失い、個人保証を設定している場合は会社の負債を背負うことになります。
一方でM&Aによって他社に会社を売却すれば、後継者がいない状況でも会社を存続させることができます。
そのため、学習塾の講師や生徒等に迷惑をかけずに済むでしょう。
大手企業が経営主体となることで、従業員の待遇が向上する可能性も考えられます。
また、経営者は会社を売却した(イグジットした)というステータスを得ることになります。
加えて、基本的にはM&Aに伴い個人保証からも解放されるため、会社の負債を背負わずに済みます。
経営者にとっては、M&Aに伴い創業者利益の獲得を見込める点も大きなメリットです。
どのくらいの金額で売却できるかはケースバイケースであるため、一概に「〜円が相場」と断言することはできません。
ですが、一般的には営業利益の数年分、事業の将来性や無形資産の価値が評価されればそれ以上の金額で売却できる可能性があります。
つまり、一度にまとまった金額の利益を獲得できる可能性があるのです。
売却により多額の資金を獲得することで、悠々自適な引退後の生活を送ることができたり、新しい事業を立ち上げたりすることが可能となります。
零細〜中小規模の学習塾と比較して、大手の学習塾はたくさんの資金や顧客データ等の経営資源を有している傾向があります。
大手学習塾とM&Aを行い、その企業の傘下に入れば、潤沢な資金や顧客データ、データに基づいた指導ノウハウなどを活用できるようになります。
そのため、M&Aを行う前と比べて、サービスの品質向上を実現できる可能性があります。
買い手企業がM&Aによって学習塾単体、または会社ごと買収すると、下記3つのメリットを得られます。
以下では、各メリットをくわしくご説明します。
他のエリアで事業を行う学習塾を買収すれば、そのエリアで新たに学習塾事業を運営できるようになります。
また、生徒をたくさん抱えている企業を買収すれば、グループ全体での生徒数を増やすことが可能です。
以上のように、事業規模の拡大を図れる点は、学習塾が同業他社を買収する大きなメリットと言えます。
地域によって、受験の出題範囲や定期テスト・内申書の点数を高めるポイントなどは変わってきます。
学習塾で安定的に生徒を集客するには、その地域の受験や学校におけるテスト・内申書に対応できるノウハウを持っていることが重要となります。
M&Aによって別の地域で実績がある学習塾を買収すれば、その地域に特有のノウハウを取得できます。
そのため、自力で一から新しいエリアを開拓する場合と比べて、よりその地域での学習塾運営で失敗しにくくなります。
また、学習塾を買収すれば、優秀な講師を一度にまとめて確保できる可能性もあります。
一般的に、優秀な講師を確保・育成するには多大な予算や労力がかかります。
そのため、買収に資金を投じて優秀な講師を確保した方が、人材確保に必要なコスト・時間の削減につながる場合もあります。
ここまで説明したとおり、学習塾の事業を軌道に乗せるには、講師の育成・確保や生徒の集客、ノウハウの確立など、たくさんの課題をクリアする必要があります。
また、マーケティングや教室の確保等に多大な費用がかかるため、失敗した場合の損失も大きなものとなります。
一方で、すでに事業が軌道に乗っている学習塾を買収すれば、一から講師の確保や生徒の集客等を行わずに学習塾事業に参入できます。
そのため、一から新規参入する場合と比べて、より低リスク・短期間で事業を軌道に乗せることができると言えます。
少子化や学習範囲の変更などにより、学習塾業界を取り巻く環境は変革期を迎えています。
変化への対応を怠ると、生徒のニーズを汲み取ることが困難となり、結果的に業績の低下につながるおそれがあります。
変化に取り残されず、市場で生き残る手段の一環としてM&A(買収・売却)は有効な手段となり得ます。
事業の存続・成長を実現したいと考えている経営者の方は、M&Aを検討してみてはいかがでしょうか。
(執筆者:中小企業診断士 鈴木 裕太 横浜国立大学卒業。大学在学中に経営コンサルタントの国家資格である中小企業診断士資格を取得(休止中)。現在は、上場企業が運営するWebメディアでのコンテンツマーケティングや、M&Aやマーケティング分野の記事執筆を手がけている)