市場規模が縮小するなか、印刷業界ではM&A・会社売却により現状打開を図る動きが活発化しています。印刷業界の課題と現状打開の動き、印刷会社の売却動向、売却のメリット、最新の売却事例を解説します。(執筆者:京都大学文学部卒の企業法務・金融専門ライター 相良義勝)
印刷業の出荷額は2005年から2014年にかけての10年間で20.2%減となり[1]、近年も1%前後の年率で減少しています[2]。
出典:一般印刷市場に関する調査を実施(2020年)(矢野経済研究所)
とくに減少幅の大きいのは出版印刷です[3]。
活字離れが長らく常態化していることに加え、近年ではスマホ・タブレットの普及とともに電子書籍化が進み、とくに電子コミックの市場規模が大幅に拡大しています[4]。
こうした紙媒体出版市場の縮小傾向が印刷業を圧迫しています。
印刷需要の減少に伴い印刷業は供給過剰の状態となり、印刷事業所の稼働率は低下し、小規模事業者を中心に競争が激化しています。
また、多品種小ロット生産へのニーズが高まり、機械化・自動化による効率的な小ロット生産体制の整備が求められる状況にありますが、設備投資の負担が大きく、十分に対応できる事業者は少ないのが現状です。
その結果、従来の設備で段取りを替えつつ場当たり的に小ロット生産を行うことになり、生産効率の低下が引き起こされています。[3]
こうした状況のなか、インターネットを介して低価格で印刷物の受注生産・配送を行うネット印刷通販が登場し、印刷料金の価格破壊を引き起こして、従来型の印刷業に単価低下・案件減少などの影響を及ぼしています。[3]
市場規模縮小、稼働率・効率低下、競争激化、価格破壊などの影響により、印刷業の事業所数は出荷市場の縮小率を上回る勢いで減少しており、とくに小規模事業者の減少が顕著です。
事業所数減少の背景としては経営者の高齢化と後継者難も挙げられます。
経営難ではなく後継者難によって事業継続が困難となる事業者も少なくなく、事業承継が大きな課題となっています。[3]
印刷業や印刷技術を基軸としつつ、総合的なソリューションを提供する事業形態へ転換していくという方向性です。
具体的なサービス形態としては、販促プロモーションやブランディングの支援コンサルティング、商品・パッケージの受託開発、DPS(データ・プリント・サービス)、BPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング)などが挙げられます。
DPSとは、ビジネスや行政のデータを高セキュアな環境で預かり、データの加工、印刷物への落とし込み、印刷物の製造・発送までのプロセスをトータルに請け負うサービスです。
BPOにおいては、DPSなどを活用しつつ、バックオフィスの業務プロセス全体を効率的に代行します。
デジタルマーケティングやエレクトロニクスなど、印刷業以外の事業も取り込んで多角化し、将来的には脱印刷業を目指していくという方向性です。
凸版印刷や大日本印刷などの大手印刷会社や進取の気性に富んだ中堅企業などがこうした方向で事業転換を進めています。
包装・パッケージ・建装材印刷や特殊印刷など、専門性や付加価値を高めやすい分野を強化していくという方向性です。
こうした分野は紙媒体出版市場縮小の影響を受けにくく、今後の発展も期待できる分野であり、とくに中小事業者にとって有望な選択肢と言えます。
[1]印刷業の10年の歩みを「印刷統計」で見てみよう(日本印刷技術協会)
[2]一般印刷市場に関する調査を実施(2020年)(矢野経済研究所)
[3]印刷産業における取引環境実態調査 調査報告書(経済産業省)
[4]2020年度の市場規模は4821億円(インプレスホールディングス)
印刷事業の総合化や専門性強化を自力または他社買収により推し進めることが難しい企業においても、豊かな経営基盤や成長性を有する企業へ会社を売却するという方法により、中長期的な経営安定化や事業成長を図ることが可能になります。
また、後継者難を抱えている印刷会社の場合、会社売却により社外の第三者への事業承継を成功させれば、印刷事業という社会的資源の存続と雇用の継続が可能になり、株主としてもまとまった資金を得ることができます。
M&A市場において買収ニーズが高い印刷会社には以下のような特徴があります。
総合化・専門化を進める同業者や関連分野の異業種企業から見れば、こうした特徴を持つ印刷会社のほうが大きなシナジーを期待できるため、買収価値は高くなります。
実際に、製造拠点・顧客基盤・技術の取り込みなどを目的としてそうした印刷会社の買収が盛んに行われています。
売り手側から言えば、買収ニーズが高ければ高いほど好条件での売却が期待できるということになります。
買収ニーズが低い印刷会社の場合も、廃業や倒産と比較すれば会社売却を行うメリットは大きいと言えます。
一般的に廃業・解散を行うよりも会社を売却した方が手元に資金が残りやすく、雇用の引き継ぎなども期待できます。
破産や民事再生などの倒産手続きを行う場合にも、優良な事業部門のみを分割して売却するなどの方法により、経済的なダメージや関係者への影響を軽減することが可能です。
2019年から2021年にかけて行われたM&Aのなかから、国内印刷会社の売却事例と国内印刷会社が海外印刷会社を買収した事例を紹介します。
トライエックス:キャラクター商品の企画・開発・販売、グラフィックデザイン、パッケージのデザイン・制作、各種グラビア印刷、Webコンテンツ制作などの事業を展開[5]
トライサクセス:ネットワークプリント・オンデマンドプリント事業を運営[6]
譲り受け企業:譲渡企業からの独立のため[7]
金羊社:CD・ゲームソフトなどエンターテインメント系メディアのパッケージ印刷、食品包装・飲料ラベルなどの軟包装製品の印刷、建装材の特殊印刷などの事業を展開[9]
レンゴー:板紙・段ボール製造の大手企業で、商品容器・パッケージ・ラベルの製造事業も展開[10]
譲り受け企業:メディアパッケージ分野への本格的進出、軟包装・販促ツール事業の拡充[9]
エス・ワイ・エス:RIZAPグループの子会社で、トレーディングカードのデザインと生産(印刷・加工・パッケージング)、一般商業印刷、特殊印刷などの事業を展開[12]
北斗印刷:RIZAPグループの子会社で、販促ツール・会社案内のデザイン・生産、Webソリューションなどの事業を展開[12]
シスコ:飲食店を運営(譲渡企業2社の代表取締役が譲り受け企業の100%オーナーかつ代表取締役)[12]
譲渡企業:RIZAPグループ全体の経営再建および持続的成長に向けた構造改革のため(グループシナジーが見込めない事業や短期的な収益改善が難しい事業を売却し、美容・ヘルスケア分野に経営資源を集中)[12]
アヤト:富山県で企業・公的機関向けに定期刊行物・販促宣伝品・伝票などの印刷および印刷物企画・制作の事業を展開
スキット:福井・東京・大阪・福岡に拠点を置き、同業・関連業種からの委託による商業印刷と、ポケットフォルダー・選挙ポスター・圧着DM・ノベルティーなどのオリジナル印刷商品開発・販売の事業を展開
譲渡企業:事業承継(後継者の獲得、従業員の雇用継続)
譲り受け企業:事業拡大、顧客層の異なる企業との経営統合によるシナジー創出、緊急事態下でも事業継続が可能な体制の構築
小西印刷所:兵庫県西宮市で地元企業からの直請けによる総合印刷業を展開[13]
日本創発グループ:印刷事業を中核として、デジタルコンテンツ事業・セールスプロモーション事業・オリジナルグッズ製造・OEM事業などの総合的なクリエイティブサービスを展開する企業グループの持株会社[14]
譲り受け企業:中核地方都市における総合印刷会社のグループ化という成長戦略の一環として、岡山市・研精堂印刷、浜松市・アプライズに続いて買収(持分法適用関連会社化)し[13]、さらに協業関係強化のため完全子会社化[15]
プロモ:ポッティング印刷とグッズ・ノベルティ製作販売の事業を展開[16]
日本創発グループ:印刷事業を中核として総合的なクリエイティブサービスを展開する企業グループの持株会社[14]
譲渡企業・譲り受け企業:両社の印刷技術・サービスの融合による既存事業のマーケット拡大、商品ラインアップ拡充、付加価値向上[16]
昌栄印刷:特殊印刷技術・情報加工技術をベースに有価証券・ICカードなどの製造・加工・販売事業を展開[17]
巴川製紙所:紙・不織布・パルプ・プラスチックなどを用いて電気・電子・光機器用の素材・部品を製造[18]
譲り受け企業:経営基盤強化・競争力強化、昌栄印刷の印刷加工・情報加工技術の取り込みによる新製品開発力の拡充[17]
千明社:通販向けカタログ印刷を中心とした印刷事業を展開[20]
ダイオープリンティング:大王製紙の子会社で、商業印刷、ビジネスフォーム印刷、シール・ラベル印刷などを総合的に展開[21]
譲渡企業:事業再生
譲り受け企業:印刷事業・洋紙事業の拡大・強化[20]
ウイズプリンティング:大阪で印刷・製本事業を展開[23]
プリントネット:東京・埼玉・九州の5つの製造拠点をもとにインターネット印刷通販事業を展開[23]
譲渡企業:事業再生
譲り受け企業:関西地域における製造拠点獲得・サービス強化・運送コスト低減[23]
Harleigh (Malaysia)とShin-Nippon Industries:マレーシアに拠点を置き、マレーシア国内外の医薬品市場などに向けて各種包装の印刷・製造・販売事業を展開[24]
朝日印刷:医薬品・化粧品の包材(パッケージ・添付文書・ラベル)を中心とする印刷包材事業と、包装システム販売事業などを展開[24]
譲り受け企業:ASEAN諸国における製造拠点・顧客基盤の確立、人材交流などを通じた人財育成[24]
Interprint:ドイツ・アルンスベルク市に本社を置く世界有数の建装材用化粧シート印刷メーカー[26]
凸版印刷:印刷テクノロジーをベースに多角的な事業を展開する大手総合印刷会社[27]
譲り受け企業:建装材事業においけるグローバルな生産拠点・販売ネットワークの確立と地産地消体制の推進、技術交流・共同開発を通じたソリューション力の向上、生産ノウハウ共有による生産性向上・生産能力最大化[26]
[1] 会社について(トライエックス)
[2] サービス(トライサクセス)
[3] 連結子会社における事業譲渡及び特別利益の計上に関するお知らせ(フォーバルテレコム)
[4] 会社案内(トライサクセス)
[5] 金羊社の子会社化について(レンゴー)
[6] 企業情報(レンゴー)
[7] 有価証券報告書-第153期(レンゴー)
[8] 当社グループの構造改革に伴う連結子会社の株式譲渡に関するお知らせ(RIZAPグループ)
[9] 小西印刷所の持分法適用関連会社化に関するお知らせ(日本創発グループ)
[10] グループ事業紹介(日本創発グループ)
[11] 小西印刷所の株式の追加取得による完全子会社化に関するお知らせ(日本創発グループ)
[12] プロモの第三者割当増資引受による子会社化に関するお知らせ(日本創発グループ)
[13] 持分法適用関連会社の連結子会社化に関するお知らせ(巴川製紙所)
[14] 会社概要(巴川製紙所)
[15] 2020年3月期 有価証券報告書(巴川製紙所)
[16] 当社子会社による千明社の事業譲受に関するお知らせ(大王製紙)
[17] トップページ(ダイオープリンティング)
[18] 会社概要(千明社)
[19] 事業譲渡契約締結に関するお知らせ(プリントネット)
[20] Harleigh (Malaysia)およびShin-Nippon Industriesの株式取得に関するお知らせ(朝日印刷)
[21] 沿革(朝日印刷)
[22] Interprint社の株式取得に関するお知らせ(凸版印刷)
[23] 製品・サービス(凸版印刷)
[24] 第174期有価証券報告書(凸版印刷)
「紙からデジタルへ」の流れが今後も進展することは間違いなく、印刷会社としては新しい事業形態への転換を図っていく必要があります。そのための有効な手段のひとつがM&Aです。
売り手側としても、自社の強み・弱みを把握した上で戦略的に会社売却を検討していくことが重要です。
(執筆者:相良義勝 京都大学文学部卒。在学中より法務・医療・科学分野の翻訳者・コーディネーターとして活動したのち、専業ライターに。企業法務・金融および医療を中心に、マーケティング、環境、先端技術などの幅広いテーマで記事を執筆。近年はM&A・事業承継分野に集中的に取り組み、理論・法制度・実務の各面にわたる解説記事・書籍原稿を提供している。)