人材派遣事業を売却して大手企業の傘下に入れば、安定的な人材確保や事業運営が可能となります。
また、事業承継の実現や売却利益を得られることもメリットです。今回の記事では、人材派遣事業の売却相場や事例を分かりやすく解説します。(中小企業診断士 鈴木裕太 監修)
はじめに、人材派遣業界の定義、現状、M&Aの動向をご説明します。
人材派遣業界とは、派遣元の事業主が雇用している労働者を他の会社に派遣し、派遣先の指揮命令を受けて労働に従事する産業を指します。
なお法律上の正式名称は「労働者派遣事業」ですが、今回の記事では「人材派遣」という用語を使って説明します。[1]
日本人材派遣協会によると、人材派遣業界の市場規模は近年回復傾向にあります。
リーマンショックの影響でピーク時(2008年度)には7兆7,892億円あった市場全体の売上高が、2013年には5兆1,042億円まで減少しました。
しかしその後は回復の兆しを見せており、2018年時点では6兆3,816億円まで戻しています。[2]
一方で派遣元事業所数は、2008年〜2015年にかけて横ばい傾向、2016年〜2018年以降にかけて減少しています。
人材派遣事業所が2016年以降減少している背景には、2015年9月の派遣法改正によって、人材派遣事業の届出制が廃止され、許可制に一本化されたことがあります。
届出制の人材派遣事業所が減少した分だけ全体数は少なくなっているものの、許可を得て事業を行う人材派遣事業所は増加しました。[3]
また、法改正によって市場が大きく変化している点も人材派遣業界の特徴です。
2015年の法改正では派遣労働者に対するキャリアアップ支援の義務化[4]、2020年の法改正では派遣労働者の同一労働同一賃金の適用がそれぞれ始まりました。[5]
これらの法改正により、新規で人材派遣の業界に参入することは難しくなっています。
人材派遣業界では、1990年代後半から2000年代後半にかけてM&Aの件数が右肩上がりに増加しました。
1999年の時点では10件を下回っていた人材派遣のM&A件数は、2006年には60件弱まで増加しました。
2010年〜2014年にかけて少し減少したものの、2015年〜2016年は再び50件を超えており、業界内で活発にM&Aが実施されていると言えます。[6]
人材派遣業界でM&Aが活発化している理由は「人手不足」です。
人手不足で即戦力の人材を獲得しにくくなっている影響で、好業績にもかかわらず事業を売却する中小の人材派遣会社が増加しています。
中小人材派遣会社の売却が進むことで、今後も大手派遣会社への集約は進むと考えられます。[7]
[1] 労働者派遣事業とは(厚生労働省)
[2] 派遣の現状(日本人材派遣協会)
[3] 労働者派遣の現状について(厚生労働省)
[4] 人材派遣(J-Net21)
[5] 改正労働者派遣法(厚生労働省)
[6] 第149回 人材サービス業界 : 業界動向「M&Aでみる日本の産業新地図」(MARR Online)
[7] 中小派遣会社にM&Aの波 社数、2年で8%減(日本経済新聞)
人材派遣の会社・事業の売却に対する理解を深めるには、過去のM&A事例を参考にするのがおすすめです。
この章では、人材派遣会社・事業が当事者となった売却・M&Aの事例を11個取り上げ、M&Aの背景や活用されたスキームをご紹介します。
売り手となったのは、大手電機メーカーであるパナソニックです。
また、本件のM&Aで売却対象となった子会社は、事務および技術者の人材派遣事業を展開していた「パナソニック エクセルスタッフ」です。
テンプスタッフは、人材派遣やアウトソーシング、キャリア支援サービスなど、幅広く人材関連のサービスを展開する企業です。[8]
売却に至った理由を一言で表すと「企業価値の向上」です。
両社の有する顧客基盤やネットワークを融合することで成長性や収益性の向上を実現し、アジアを代表する人材サービスのリーディングカンパニーを目指すとのことです。
2015年4月、パナソニックが子会社であるエクセルスタッフの株式のうち、66.61%を譲渡するスキームで売却が実施されました。[9]
このM&Aにより、エクセルスタッフはテンプスタッフの子会社となりました。
サポートシステムは、事務や製造、流通、医療・福祉などの幅広い分野で人材派遣のサービスを提供していた会社です。
ISO22000(食品安全)やISO9001(品質保証)を取得しており、食品加工会社に対する高品質な人材派遣サービスの提供を強みとしています。
また、関西・関東エリアで多数の顧客を抱えている点も特徴です。
UTグループは、製造工場やIT、建設分野などへの人材派遣事業を運営する企業です。
特に製造の分野を強みとしており、国内の大手製造業を中心に好条件で就業できる職場を多く確保しています。
買い手側のUTグループは、グループ全体の企業価値向上を目的に買収を実行しました。
同社の公表資料によると、UTグループが有する採用・人材育成の基盤を活用することで、サポートシステムはより高品質なサービスを提供可能になるとのことです。
売り手側の目的は明らかにされていませんが、上記のメリットを期待してM&Aを実行したと考えられます。
2020年3月、サポートシステムは自己株式を除く全株式を譲渡する手法でM&Aを行いました。[10]
グロップは、人材派遣やラインソーシング、テレマーケティングなどの事業を行う多角化企業です。
人材派遣事業では、テレマーケティングや経理、保育士など、幅広い業界に人材を派遣しています。
ME(マネジメント・エキスパート)がスタッフのケアを行うことで、顧客とスタッフの双方が満足できる体制を整えている点が特徴です。[11]
買い手となったアミーゴは、アレンザホールディングスの連結子会社です。
ペットショップ事業を運営しており、全国で70店舗(2021年3月時点)を運営しています。[12]
買い手のアミーゴは、日本一のペットショップを目指す一環として、犬猫愛護の取り組みを強化していました。
そこで、グロップが経営していたペットショップが持つ里親探しのノウハウを取得する目的で買収を実行しました。
一方で売り手側のグロップは、本件のM&Aによりペットショップ事業に投下していた経営資源を、本業である人材派遣や他の事業に投入できるようになりました。
売却の目的は明らかにされていないものの、主力事業への集中も目的の1つに含まれていたと考えられます。
今回のM&Aは、2020年11月にグロップが岡山市内で展開していたペットショップ1店舗を譲渡するスキームで実施されました。[13]
売り手企業のパートナーは、IT技術者の人材派遣を運営する企業でした。
ウイルテックは、メーカーや建設業を中心とした技術者の人材派遣サービスを運営している企業です。
取引先として大手の製造・建設企業を抱えている点や、高い技術力を活かした製造関連事業を全国的に展開している点が強みです。
両社がM&Aに至った背景には、ウイルテックが取引する企業の多くがシステム開発に関するニーズを持っていたことがあります。
同社はシステム開発に対するニーズに対応する目的で、高度な技能や経験を持つシステムエンジニアを抱えるパートナー社を買収しました。
売り手の目的は明らかにされていません。
ですが、IT技術者派遣事業を分社化した上で譲渡したことを踏まえると、大手のグループ傘下に入ることではなく、他事業への集中や企業経営からのリタイアが目的であった可能性が高いと言えます。
本件のM&Aは、2020年12月に下記の流れで実施されました。[14]
売り手のエヌジェイホールディングスは、ゲームの開発・運営や携帯電話の販売などの事業を行う企業です。[15]
また、売却対象となった子会社のトーテックは、化学や情報分野を専門とするエンジニアの人材派遣を主力事業としていました。
売却先となったデルタホールディングスは、人材派遣や人材紹介、請負サービスなど、幅広い分野を網羅する人材会社です。
高度なスキルを持つ人材を安定的に確保している点や、Webマーケティングによって企業のブランド価値を確立している点が強みです。
当時トーテックは、少子高齢化による人材不足が原因で求職者の獲得に苦戦していました。
そのため、人材派遣事業のさらなる拡大に向けて、「求職者への訴求力や市場での認知度向上」が重要な課題となっていました。
このような経緯から、訴求力や認知度の向上に役立つノウハウ等を取得する目的で、ブランディングを得意とするデルタホールディングスとの資本業務提携が実施されました。
トーテック株式の一部譲渡は、資本業務提携の一環として行われたものです。
トーテックの持つ顧客ネットワークとデルタ社が持つブランディングノウハウ等が組み合わさることで、自力で事業に取り組む以上の成長や事業価値の向上が期待できるとのことです。
2018年7月に実施されたM&Aでは、エヌジェイホールディングスがトーテック株式のうち70%をデルタ社に譲渡しました。
なお売却金額は1億2,600万円であり、フリーキャッシュフロー法で算定した株主価値を基準に決定されました。[16]
サポート・エーは、テンプスタッフの子会社として人材派遣事業やアウトソーシング事業を運営する会社でした。
オートバックスセブンは、主力であるオートバックス事業(車検の提供や自動車用品の販売など)に加えて、海外での卸売事業や輸入車ディーラー事業などを運営する会社です。[17]
買い手のオートバックスセブンは、グループ内における人材確保や供給、育成を目的に、人材派遣事業を有するサポート・エーを買収しました。
売り手の目的は明らかにされていません。
2017年2月、オートバックスセブンに対して全株式を売却するスキームでM&Aが実施されました。
なお、株式の譲渡価額は非公表です。[18]
JapanWorkは、外国人向け求人一括検索サイトを運営する会社です。
求人内容の翻訳や集客、面接日程の調整などをAIやコンシェルジュが代行することで、求人活動の手間を大幅に削減している点が特徴です。[19]
エン・ジャパンは、全国の人材派遣会社と派遣の仕事を探す求職者を結ぶマッチングサイトを運営している会社です。
人材派遣のみならず、転職や学生向け求人など、人材領域で幅広い情報サイトを展開している点が特徴です。[20]
両社がM&Aを実施したきっかけは、JapanWork側がエン・ジャパンに対して出資の打診を行ったことです。
当時エン・ジャパンがテクノロジー分野におけるM&Aの強化を戦略としていたこともあり、出資ではなくM&Aが実施されました。
2018年12月よりJapanWorkは、企業と外国人のやりとりを代行するチャットコンシェルジュサービスを開始しました。
このサービスは、日本語が苦手な外国人労働者の採用成功率の向上につながっています。
このような優れたサービスを持つJapanWork社を買収することで、エン・ジャパンは自社の顧客企業に対してさらなる価値提供ができると見込んでいます。
2019年7月に実施された株式譲渡では、51%の株式が2億2,900万円で売却されました。
このM&Aにより、JapanWork社は買い手の連結子会社となりました。[21]
なお当初は、2022年に完全子会社化が実施される予定でした。
しかし新型コロナウイルスの感染拡大による影響などを理由に、完全子会社化は中止となりました。
中止に伴い、エンジャパンが買収した51%の株式はJapanWork社の代表取締役に譲渡(返却)され、両社は親子会社ではなくなりました。[22]
クリエアナブキは、人材派遣や人材紹介、アウトソーシングなど、総合的な人材サービスを提供している企業です。
人材派遣の事業では、中国・四国エリアだけで10万名以上の登録者を抱えている点や、インテリアコーディネータなどの専門職に対応している点が強みです。[23]
買い手のライクスタッフィングも、クリエアナブキと同様に、人材派遣やアウトソーシングなどの事業を行う総合人材サービス会社です。
人材派遣の事業では、社会経験や業界経験がないスタッフに対して独自の研修制度を実施している点が特徴です。[24]
買い手側は、近畿圏における事務案件を拡充する目的で、クリエアナブキの大阪支店における人材派遣事業を買収しました。
このM&Aにより、求職者とのマッチングを強化します。
売り手の目的は明らかにされていないものの、一般的な事業譲渡と同様に「選択と集中」の一環として事業売却を実施したと考えられます。
2018年3月、クリエアナブキは事業譲渡のスキームを用いて大阪支店の人材派遣事業を売却しました。
譲渡価格は非公開です。[25]
データリンクスは、BPOサービスを主軸とした人材派遣事業を行う会社でした。
リクルートスタッフィングは、リクルートホールディングスのグループ企業として、人材派遣やアウトソーシング、紹介予定派遣などの人材サービスを運営する会社です。[26]
データリンクスは、1992年に人材派遣の許可を取得して以来、横浜や大宮、仙台に拠点を増設し、順調に事業を拡大していました。
しかしリーマンショックが発生した2008年以降は、同業他社との価格競争や度重なる労働法の改正などにより、売上高の減少傾向が続いていました。
収益性の改善が困難となったため、同社は主力のIT派遣等を除くすべての人材派遣事業を、リクルートスタッフィングに譲渡しました。
つまり本件の事業譲渡は、不採算事業の売却を目的に実施されたのです。[27]
不採算事業を売却することで、同社は事業規模が拡大している情報サービス事業への特化を目指します。
2016年4月、データリンクスは主力事業を除く全ての派遣契約、および付随する契約を事業譲渡しました。
売却価額は1億6,100万円でした。[28]
ライフ・コーポレーションは、愛知県で施設常駐警備の事業を展開する会社です。
買い手の日輪は、人材派遣や紹介予定派遣などの人材サービス事業を運営する会社です。
自社で複数の求人サイトを運営し、高い採用力を有している点が強みです。
売り手が会社を売却した目的は「事業承継の実現」です。
当時売り手の経営者は65歳であり、体力の衰えや後継者不足から今後の事業運営を不安視していました。
そこで事業承継を図る目的で、人材派遣事業を運営する日輪への株式譲渡を実行しました。
2019年に実施されたM&Aでは、株式譲渡の手法が用いられました。
今回のM&Aにより、買い手は高齢人材の新たな働き先として警備事業を獲得できました。
一方で売り手は、人材派遣会社の傘下に入ることで、人材が集まりにくい警備業界で安定的に人材を確保できるようになりました。[29]
警備と人材派遣という異業種同士のM&Aにより、大きなシナジー効果が生み出された事例と言えます。
売り手のビーズワンは、システム構築や運用保守、CADを用いた図面作成などの事業を行う会社です。[30]
買い手は、先ほどご紹介した日輪です。
買い手の日輪は、DXの進展で需要が高まっているIT分野における対応力を強化する目的でM&Aを実施しました。
一方で売り手は、後継者不足の解消と営業力の強化を目的に会社の売却を行いました。
今回のM&Aにより、売り手企業は日輪グループが取引している企業への水平展開が可能となりました。
子会社化した旨が公表されているため、株式譲渡の手法を用いたと考えられます。売却価額は非公表です。[31]
[8] サービス紹介(テンプスタッフ)
[9] テンプスタッフとパナソニック パナソニック エクセルスタッフの株式譲渡に合意(パナソニック)
[10] 株式会社サポート・システムの株式取得(子会社化)に関するお知らせ(UTグループ)
[11] 人材派遣・人材紹介(グロップ)
[12] 会社概要・沿革(アミーゴ)
[13] 当社連結子会社における事業譲受に関するお知らせ(アレンザホールディングス)
[14] 株式会社パートナーの株式の取得(子会社化)に関するお知らせ(ウイルテック)
[15] 企業概要(エヌジェイホールディングス)
[16] 資本業務提携及び連結子会社の異動(株式の一部譲渡)に関するお知らせ(エヌジェイホールディングス)
[17] 事業内容(オートバックスセブン)
[18] 株式会社サポート・エーの株式取得(子会社化)に関するお知らせ(オートバックスセブン)
[19] サービス(JapanWork)
[20] サービス(エン・ジャパン)
[21] 株式会社 JapanWork の株式の取得(子会社化)及び当該株式取得の一部対価としての第三者割当による自己株式処分、並びに完全子会社化を目的とした株式交換に係る基本合意の締結に関するお知らせ(エン・ジャパン)
[22] 連結子会社との株式交換に係る基本合意の解除に伴う完全子会社化の中止、および連結子会社の異動(株式譲渡)に関するお知らせ(エン・ジャパン)
[23] 人材派遣(クリエアナブキ)
[24] 人材派遣サービス(ライクスタッフィング)
[25] 当社連結子会社における事業の一部譲受に関するお知らせ(ライク)
[26] 事業紹介(リクルートスタッフィング)
[27] 人材派遣事業の一部譲渡に関する基本合意書締結のお知らせ(データリンクス)
[28] 事業譲渡価額の最終確定に関するお知らせ(データリンクス)
[29] インターネットだからこそ実現したスピードマッチング。最初のメッセージから1ヶ月でM&Aが実現【M&A事例】(M&Aサクシード)
[30] ホーム(ビーズワン)
[31] 株式会社ビーズワンの子会社化について、中部経済新聞に掲載されました。(日輪)
売却価格の相場は、人材派遣の会社・事業を売却する上で知っておくべき知識の1つです。
事前に相場を知ることで、相場よりも安い値段で買収される事態を回避できます。
また、M&Aが最適な選択肢となるかを判断する際にも相場の知識は役立ちます。
人材派遣会社の売却に備えて、この章で紹介する「売却相場」と「売却価格算定の基礎となる企業価値」をぜひ参考にしてください。
中小規模の人材派遣会社に関しては、「時価純資産+営業利益×2〜5年分」をで算出された金額が相場と言われています。
時価純資産に加算する営業利益はのれん代(無形資産の価値)を表します。[32]
なお、「用いる手法によって相場が変わる」という考え方もあります。
株式譲渡の手法を用いる場合、時価純資産に「営業利益+役員報酬」の2〜5年分を足した金額が相場となります。
時価純資産が4,000万円、営業利益が2,000万円、役員報酬が1,000万円の人材派遣会社があると仮定します。
この会社売却で2年分の「営業利益+役員報酬」をのれんとして加算すると、相場は次のように求まります。
一方で事業譲渡によるM&Aでは、譲渡する資産に2〜5年分の事業利益を足した金額が相場です。
事業資産が4,000万円、事業利益が2,000万円の人材派遣事業があると仮定します。
この事業を売却する際、2年分の事業利益をのれんとして加味すると、売却価格の相場は下記のとおりです。
手法ごとに相場を比較したい場合は、「時価純資産 + (営業利益 + 役員報酬) × 2〜5年」と「事業資産 + 事業利益 × 2〜5年」の計算式を活用しましょう。
人材派遣会社・事業の売買価格は、買い手と売り手の交渉によって決定されます。
交渉の際には、資産・負債の状況や将来の収益性、業種などをベースに算出した企業価値が基準となります。
企業価値の評価方法は、「インカムアプローチ」、「コストアプローチ」、「マーケットアプローチ」の3種類に大別されます。
それぞれの特徴やメリット・デメリット、主な手法は下記のとおりです。
評価方法 | インカムアプローチ | コストアプローチ | マーケットアプローチ |
---|---|---|---|
特徴 | 収益力をベースに評価する | 貸借対照表の純資産をベースに評価する | 過去のM&A事例などをベースに評価する |
メリット | ・将来的な収益獲得力を反映できる ・各企業の固有性質を反映できる | ・客観性に優れている | ・客観性がとても高い ・市場での取引を反映できる |
デメリット | ・主観や恣意が入り込みやすい | ・将来性を加味できない ・市場での取引環境を反映しにくい | ・市場の一時的な要因によって評価が歪みやすい ・各企業の固有の性質を反映しにくい |
主な手法 | ・DCF法 ・配当還元法 ・残余利益法 | ・簿価純資産法 ・時価純資産法 | ・市場株価法 ・類似会社比較法 ・類似取引比較法 |
メリット・デメリットを理解した上で、状況ごとに最適な手法を活用しましょう。
最終的な売却価格は買い手との交渉によって決まるため、かならずしも相場に近い金額でM&Aが成立するとは限りません。
相場よりも高い価格で売却できる人材派遣会社・事業には2つの特徴があります。
保有する純資産が少ない企業や、赤字や債務超過に陥っている企業の場合、前述した式で算出した相場は低くなります。
ですが買い手は、事業規模や収支・財務の状況だけでなく、以下の要素(無形資産の価値)も考慮して売り手企業を評価します。[33]
したがって、業績面にマイナス要素が多くても、買い手側からのニーズがある上記の経営資源を持っていれば、相場よりも高い価格で売却できる可能性があります。
人材派遣の会社を例にすると、特定の業界における知名度や専門性、優秀な派遣社員などが当てはまるでしょう。
買い手との交渉によって決まる売却価格には、買い手が評価した無形資産の価値や、自社事業とのシナジー効果も含まれています。
買い手ごとに無形資産の価値やシナジー効果に対する評価は異なるため、誰と交渉するかで売却価格は変わります。
たとえば買い手候補が自社事業とのシナジー効果を高く評価すれば、相場よりも高い値段で売却できる可能性も高くなります。
一方で売り手が同じでも、買い手がシナジー効果を低く評価すれば、相場と同じかそれよりも低い値段を提示してくる可能性が高いです。
買い手によって評価はさまざまであるため、なるべく複数の買い手候補と交渉し、自社を高く評価してくれる相手を見つけることが重要です。
交渉する相手が増えるほど、高い価格で売却できる可能性も高まるでしょう。
[32] 経営者のための事業承継マニュアル(中小企業庁)
[33] 中小M&Aガイドライン -第三者への円滑な事業引継ぎに向けて-(中小企業庁)
人材派遣の会社・事業を売却して得られるメリットは以下の6つです。
この章では、6つのメリットを具体的に解説します。
中小企業庁が公開している中小企業白書によると、経営者の高齢化や後継者不足を理由に、年間で4万者以上の企業が休廃業・解散しています。
また、そのうち約60%は黒字企業です。[34]
つまり、事業が順調であるにもかかわらず、後継者の不在を理由に会社をたたむ企業が多いということです。
軌道に乗っている会社の廃業は、経営者のみならず従業員や地域社会にとっても大きな損失です。
そこでおすすめなのが「会社売却(M&A)による事業承継」です。
株式譲渡によって支配権を譲渡すれば、外部の会社や経営者に事業を承継してもらえます。
後継者不足や経営の先行き不安などを理由に廃業すると、従業員は仕事を失います。
一方で人材派遣の会社・事業ごと売却すれば、従業員は引き続き買い手の下で働くことができます。
また大手の人材派遣会社に売却すれば、現在と比べて従業員の待遇や労働条件が良くなる可能性もあります。
株式や事業を売却すると、売り手企業(またはその株主)は買い手から対価を受け取れます。
純資産に数年分の利益を足した金額が譲渡金額の相場であるため、手元に残る売却利益は大きな金額となります。
多額の利益を獲得し、アーリーリタイアして悠々自適な老後を送ることができます。
もしくは、獲得した資金を新規事業や主力事業に費やしたり、事業の立て直しに使ったりすることも可能です。
特に、廃業を検討している人材派遣会社にとっては、売却利益の獲得によるメリットは大きいです。
なぜなら、廃業に伴う税務処理や在庫処分などの費用が発生せず、かつ売却による利益を得られるからです。
より多くの現金を手元に残したい方は、廃業ではなく会社売却を選択すべきです。
個人保証とは、金融機関から借り入れを行う際に、経営者が個人で保証を負うことです。
個人保証を提供している場合、人材派遣の事業が失敗すると経営者が個人の資産を用いて弁済することになります。
生活が苦しくなるリスクがあるため、経営者にとっては大きな精神的負担です。
人材派遣の会社ごと売却する場合、売り手企業の負債が買い手側に引き継がれます。
そのためM&Aの実施に際して、「経営者保証に関するガイドライン」の特則に基づいて個人保証を解除できる可能性が高いです。[35]
個人保証を解除することで、個人で弁済する事態を心配せずにその後の生活を送れるでしょう。
大手の派遣会社に売却すれば、相手企業の傘下に入ります。
傘下企業になれば、大手の持つ資金やノウハウ、知名度などを最大限活用して派遣事業を行うことが可能です。
そのため、売却前に抱えていた先行き不安がなくなり、安定的に事業を運営できるでしょう。
また、買い手企業とのシナジー効果により、売り上げや収益を大きく伸ばす効果も期待できます。
事業譲渡の手法を活用する場合、不採算事業のみを売却できる点がメリットとなります。
たとえば人材派遣の本業とは別に事業を行っており、その事業で赤字が続いているとします。
赤字の事業のみを売却すれば、会社全体の収益性は良くなるでしょう。
また、赤字事業に投下していた経営資源を主力の人材派遣業に投入できるため、人材派遣事業の成長性を高めることも可能です。
[34] 2020年版中小企業白書・小規模企業白書概要(中小企業庁)
[35] 事業承継に焦点を当てた「経営者保証に関するガイドライン」の特則が公表されました(中小企業庁)
買い手側がM&Aに期待するメリットを理解すれば、相手のニーズに刺さるアプローチが可能となります。
買収によって得られる下記2つのメリットを把握して、人材派遣会社・事業の売却交渉に臨みましょう。
各メリットの詳細は次のとおりです。
人材派遣の会社・事業を買収すれば、その会社に登録している優秀で経験豊富な人材をまとめて獲得できます。
人手不足が深刻な課題となっている人材派遣業界において、優秀な人材を確保することは簡単ではありません。
1人の優秀な人材を獲得することすら困難な現状で、一度にたくさんの優秀な人材を確保できる点は大きなメリットです。
買い手側も人材派遣の事業を行なっていれば、買収によって事業規模を拡大できます。
人材派遣の事業規模が拡大することで、以下に挙げたメリットを得られます。
これらのメリットを得ることで、市場シェアの拡大や売上高の増加を期待できるでしょう。
人材派遣の会社や事業を売却するにあたっては、この業界に特有の注意点があります。
この章で紹介する注意点を知らないと、売却相手や顧客との間でトラブルが生じるおそれがあります。
円滑な売却に向けて、以下の3点に注意しましょう。
事業譲渡により人材派遣事業を売却する場合、事業の運営に必要な「労働者派遣事業の許可」は引き継がせることができません。
したがって、買い手側が許可を持っていない場合には、買い手側が新たに許可を取得する必要があります。
許可の取得には時間と労力がかかるため、スムーズに人材事業を売却したいならば、許可を取得している同業他社とM&Aを行うことがおすすめです。
なお買い手が許可を持っている場合には、新規で許可申請を実施する必要はありません。
ただし、法人の名称等の変更に関する届出が必要となります。[36]
会社法第21条により、事業譲渡を行った会社は競業避止義務を負う点に注意が必要です。
具体的には、同一市町村および隣接市町村の区域内において、譲渡した日から20年間にわたり同一事業を行えなくなります。[37]
たとえば事業譲渡によって人材派遣事業を売却すると、20年間はその地域と隣接エリアで人材派遣のビジネスを行えません。
ただし買い手との交渉によって、競業避止義務の期間を短縮したり、エリアを狭めたりすることは可能です。
将来的にふたたび人材派遣事業を行う可能性があるならば、買い手との交渉で期間の短縮やエリアの縮小を図るのがおすすめです。
人材派遣会社・事業の売却では、登録者の住所やマイナンバーなどの個人情報を相手に開示することが想定されます。
開示に際して個人情報が外部の第三者に漏えいするリスクがあるため、十分な注意と対策が必要です。
[36] 派遣事業開始以後の手続等は・・・(厚生労働省)
[37] 会社法第21条(e-Gov)
人手不足や法規制の強化などにより、人材派遣業界の経営環境は厳しさを増しています。
このような業界において事業・会社の売却は、安定的な経営や事業からの撤退を実現する手段として有用です。
なお、相場よりも高い価格で売却したいならば、早い時期から買い手からのニーズが多い経営資源を確保したり、複数の買い手候補と交渉したりすることが重要です。
この記事でご紹介した事例や相場を参考にして、人材派遣の事業売却をご検討していただけますと幸いです。
(執筆者:中小企業診断士 鈴木 裕太 横浜国立大学卒業。大学在学中に経営コンサルタントの国家資格である中小企業診断士資格を取得(休止中)。現在は、上場企業が運営するWebメディアでのコンテンツマーケティングや、M&Aやマーケティング分野の記事執筆を手がけている)